1945年8月9日午前11時2分

長崎で、たくさんの人の上に原爆が投下されました

長崎には今も伯母やイトコたちが暮らしています

伯母が実際に被爆していますが

戦争は直接は関係のない遠くの町の人にも影響をあたえます


わたしの父が育ったのは佐賀県白石町

祖父は旧制中学卒業後アメリカに留学し

第二次世界大戦前夜に帰国しました

エンパイアステートビル、ゴールデンゲートブリッジ、フーバーダムなど

現在もランドマークとなりうる建造物を次々に造り上げるアメリカと

同じ時代に、やっと銀座に日本初の信号機が設置され

北日本では冷害・凶作で娘が身売りされ

「欠食児童」が流行語となるような日本

アメリカで生活してきた祖父は

戦意を高揚させるためのデマや噂や嘘の報道を憂いたそうです


「広島に続いて長崎にも新型爆弾が落とされたらしい」

と聞いて2日後くらいから家の近くの駅に

列車から見たこともないようなたくさんの負傷者が続々と降ろされてきました

長崎市からは80kmくらい離れた田舎の町です

町には大きな精神病院がありました

長崎で被爆した恐ろしい数の怪我人に病院の数が間に合わず

となりの街もいっぱいになり

その隣町、隣町へと治療を受けるために列車で運ばれて来たそうです

神経科とはいえ大きな医療施設があるので

収容可能な限りの数の人がその駅で降ろされたそうですが

降ろされる人は全て容態が重くて

快復の見込みがある人から優先的に病院に収容されるため

そうでない人は駅のホームや待合室にずらりと寝かされて

中学2年生だった父は炎天下に横たわる負傷者のために

家族や友達と水を運んで飲ませたり

包帯を交換したり医師を呼びに行ったりと手伝いをしたそうです

体の皮がずるずると剥がれ落ち蝿がたかり虫が涌き

目の前でどんどん人が亡くなっていく

河原でたくさんの遺体を火葬するのに焚き付けに使う

大豆の殻をたくさんたくさん集めたそうです


見わたす限りの田園が広がる田舎の町で

大きな空襲などはないのどかな所で

これだけたくさんの人が死んでいってしまう戦争の恐ろしさ


沖縄に生まれ育った友達は

沖縄地上戦のことを学校で習うまでまったく知らなかったそうです

家に帰って実際に経験したおばあちゃんに聞くと

目の前で起こったことがあまりにも悲しくて辛くて思い出したくなくて

話したくなかったと言われたそうです


実際にその目で見て感じた人は年とともに数少なくなっていきます

実際に見てきた人から話を聞くことができたわたしたちには

聞いた話を伝えていく必要があると思います



hana



a life of peace 平穏な生活

rest in peace 安らかに眠る

peace of mind 心の平安






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Comment

私が
小学生のころは、夏休みになると地区で戦争を扱った映画の上映会のようなものをやってたような記憶があります。課題選書にも戦争を扱った図書が入っていたようにも記憶します。『ふたりのイーダ』は子供だった自分にも鮮烈だったな~。
大人になった今は、受け身ではなかなか情報を得ることはできません。自ら知りたいと思わなければ、新聞の記事さへスルーしてしまいます。先日、偶然にもある人の自分史を読みました。満州で終戦を迎えた人の話です。帰国して地元の夏祭りでみた自分の名前が書かれたち提灯は満州でなくなったお母さんが子供の無事を祈って奉納したものだったそうです。その提灯を見た主人公はそのときに初めて泣くことができたそう。
当事者の体験を想像するには限界があるけれど、こういう話を読むことは意味があると思いました。

しおこさんへ
私がいつもお世話になる植木屋さんのおじいさんは
現在86歳になると思います。
丁度呉にいて、自分の船が壊れて木で船を隠し
大和の出陣を見送ったそうです。
その話もやっと数年前に聞いたばかりです。
戦争を体験した人は中々その事を語るのを嫌がっていました。
こんな戦争がもう2度と起こらないように
今生きている人間は努力しないといけないですよね。
そしてこういう事があった事は話し伝えていかないとと思います。
幸せボケした今の人々はもっと命の大切さを知らないといけません。
本当に有能な若い尊い命が一瞬でなくなってしまう戦争は
2度と起こしてはいけません。

いつもは能天気な小雪家ですが、
先日録画した「硫黄島からの手紙」という映画を見て、
日本もアメリカもどちらの兵隊さんも、そして馬も犬も無残に一瞬に、死んで行くのを見て、
映画だけれど怖くて戦争が恐ろしくなりました。
戦争になってしまう勢いを私一人で変えられると思えないので余計怖いです。
とりあえず今平和に生きていられることに感謝しようと思います。
つい、「重い」とか言って、考えたくないと逃げちゃいがちになるけれど
人間は本当に弱いから戦争反対って言い続けないといけないなと今日も思いました。

修学旅行で広島にいってお話を聞いたり、
テレビで話を聞いたりしたことしかなかったです。

こういうことは忘れちゃいけないですよね。
後世に伝える義務があたしたちにはありますよね。
モモ松様
わたしの小学生の時も
福岡大空襲の日と、夏休みの出校日に平和学習というのがあってました
『ふたりのイーダ』はわたしも覚えています
過酷な経験をして、思い出すのも嫌で話したくないという
それほど心に傷を残すものなんですね、戦争って
人の経験は自分の実体験にはなりえませんが
たった今でも戦火におびえて暮らすたくさんの人がいることを思うと
目を逸らしている場合ではないと思います
ホントに平和な世界ってくるんでしょうか?
ミルパパママさま
戦地に出向いた人たちはもう80歳代後半、
兵隊さんにならない年齢の方ももう80歳前後ですね
伯父伯母達もだんだん高齢になっていきます
植木屋さんも話すことで、また思い出すことが辛かったんでしょうね
でも、どんなに戦争に関わらないようにしていても
巻き込まれてしまうということは
いざというときにはわたしたちにも関係のないことではないですよね
悲しくて苦しい話をわざわざ蒸し返すことはないと
目を逸らすことは簡単ですが
本当のことをみんな知っておいたほうがいいとおもいます
愛知の小雪ちゃんのママさま
「硫黄島からの手紙」はクリント・イーストウッドですよね?
むかしはマシンガンで撃ちまくっていた人だけど
だんだんと年齢を重ねていくと、若い人にこれだけは伝えなければという
使命を感じてくるのでしょうね
「グラン・トリノ」も
憎しみからは何も生まれない、力づくではない戦い方があるんだ
という素晴らしい映画でした。ご覧になりましたか?
こういうものを見ると、映画や本などから得る物はたくさんあると思います
クッキーPics様
兵隊さんにならなくても
被爆してなくても
戦争なんかに関わらないように生きていても
巻き込まれてしまう
もしいま日本がどこかの国の戦争に巻き込まれたら
わたしは関係ないと言っていられない
恐ろしいです
重い、暗い話ですから一日中考えているわけにもいきません
一年に一回でも思い出して考える、いいタイミングかもしれません

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